これまではこの商工会の旅行には親父殿が参加してたんですけど、今回の旅行先が宮城県の南三陸町と東松島市だったということもあり、今回初めて参加させて頂いたというわけです。
今の被災地の現状をしっかり見て来たいという思いがあったので。
実は前日まで超大雪だったので、はたしてこのまま参加してもいいのかという思いにかられながら、5日(日)の朝9時に東根を出発。
まず午前中は昨年世界遺産に登録された平泉中尊寺へ。

平泉も多くの雪が残ってました。
時間に余裕があまりなかったため駆け足での平泉訪問となりましたが、ぜひぜひ今度ゆっくりと行きたいですね。
その後、宮城県の南三陸町へ。
平泉から約2時間ほど移動した後、この日お世話になる南三陸ホテル観洋さんの営業の方(すみません。名前忘れました・・・)と合流し、町内を案内して頂きました。
バスの中からではありましたが、眼前に広がる光景に絶句。
まだ、テレビで見てた風景が永遠と広がっているんです。


1年経とうとしているのに、まだこの状態なのかと。
パッと見、がれきは撤去されてて全て更地になっているように見えたのですが、よく地面を見るとまだまだ多くの生活用品などが埋もれているんです。
これら全て撤去しないと土盛りもできないとのこと。
もしかしたら有毒ガスなどが発生するかもしれないという理由もあるらしいのです。
これではあとまだどれくらい時間がかかるか全然見当もつきませんね・・・。
そして最後に象徴となっているあの防災対策庁舎へ。

遠藤未希さんが最後まで防災無線で避難を呼びかけたことで有名ですが、ここで営業さんからマスコミでは決して紹介されていない真実を話して頂きました。
実は津波でやられてしまう10分ほど前に遠藤さんは上司と代わったそうなんです。
お二人とも亡くなられてしまったので具体的なことは分からないそうなのですが、恐らく部下である遠藤さんを先に避難させて、ご自身が最後に無線室へ残ったのではないかと言われておりました。
全然この上司の方について報道されないのがご遺族の方も無念とのこと。
決して部下を残して上司が先に逃げたということではないということです。
どうしてマスコミの方々はこういうことに触れないんでしょうね。
そして、1年経とうとしているのに現状が全然変わっていないというのも、どうなんでしょう。
今国会ではなんとかと言う大臣をいじめている報道がよくされておりますが、そんなことをしている場合ではないんじゃないかなと思うのですが・・・。
現地を見て、そして現地の方のお話を聞いて、本当に腹立たしく思いました。
翌日6日(月)は東松島市へ。
東松島市商工会へ交流を兼ねて訪問した後、野蒜海岸周辺を見てきました。

こちらも現状は全く同じでした・・・。
最後に、ホテル観洋の女将さんのお言葉ですが、
「物見遊山でもいい。とにかく被災地に来てほしい」
というのが非常に印象的でした。
ただ観光だけで行くのは申し訳ないと正直思っておりましたが、観光で行って何かお土産を買うことだけでも立派な被災地支援になるんですね。
なのでなけなしのお小遣いをはたいて、しっかりとたくさんのお土産を購入しました

今度はぜひ子供たちを連れてもう一度行きたいですね。
今回の参加者は予想通り僕と同年代は誰もいなく、ほとんどが会社の社長さんやその奥さまなど僕の親世代の方々ばかりだったので、正直ぎりぎりまで参加するのをためらっていたんですが、ホテル観洋さんでの夜の懇親会ですっかり皆さんのお世話になり、ありがとうございました。
特に、N社のO社長、A社のA社長、M社のG部長、S銀行のU支店長、D社のO会長、K社のT社長ご夫妻、本当にありがとうございました。
しっかりと名刺交換もさせて頂き、将来の種まきにもなりましたかな?
色んな意味で行ってよかったと思う今回の旅行でした。
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